サイゴン大教会はホーチミン市を代表するネオゴシック様式の歴史的建造物

ホーチミン1区の中央に位置するサイゴン大聖堂は、フランス植民地時代の19世紀末に建造されたホーチミン市を代表する歴史的建造物で、観光のハイライトとして有名です。シンボリックなネオゴシック様式の大聖堂について、その歴史や特徴、現在行われている修復工事についてご紹介します。

2020年撮影

聖マリア大聖堂とも呼ばれるネオ・ゴシック様式の教会で、フランスの植民地だった1863年から1880年にかけて建設されました。建築家ジュール・ブラール氏によって設計され、2つの鐘楼のある高さはおよそ60メートル、長さは93メートルにおよび、すべての建築材料はフランスから輸入されたものです。1959年に教会前の象徴的な平和の聖母像が設置され、1962年にはバシリカの地位を授かっています。現在は100年以上の年月を経て老朽化した構造を修復する工事が2017年より続いています。

ホーチミン1区の中央にあり、教会と庭園はパリ公社通り(Công xã Paris)に囲まれています。教会前のロータリーからはドンコイ通りがのびています。

マップ

最初の建築

フランスの植民地主義者はカトリック教徒のミサをあげるための教会を、現在のNgo Duc Ke通りに建設しました。これが最初の教会となりましたが、小さな教会であったため、1863年、ビクター・オーギュスト・デュペレ提督は木造の教会を他所で建設することを決定し、1865年に完成し、サイゴン教会と呼ばれていました。しかし、シロアリなどの有害な昆虫によって被害を受け、後にラサン・タバード神学校に改装されました。

2回目の建築

1876年コーチシナ・デュペレ知事は、新しい教会デザインプロジェクトに着手。ゴシック様式が選ばれ、建築現場として現在のフランス領事館の場所、グエンフエ通り、現在地の3つの候補が検討された末、現在地であるドンコイ通り北に決定しました。トゥールーズで作られたレンガや、セメント、鉄、鋼からファスナーまですべての建設資材はフランスから持ち込まれたものです。1880年教会は完成しました。

1962年、ときの教皇ヨハネ23世はサイゴン首長大聖堂に油を注いで、バシリカの地位を授けました。この時から、大聖堂の正式名称はサイゴンのノートルダム大聖堂です。

2017年撮影

建築

高さ60メートル、長さ93メートル、幅35メートルにおよぶ教会の建物は、ネオゴシック様式(ゴシック・リヴァイヴァル)で建てられました。すべての建設資材がフランスから持ち込まれたもので、マルセイユで作られたレンガはまだ明るいピンク色を残しています。タイルには、タイルが生産されたマルセイユの地区であるギシャール・カルヴァン、マルセイユ・サン・アンドレ・フランスという文字が刻まれています。一部のタイルには、Wang-Tai Saigonという文字が刻まれており、戦争で損傷を受けたタイルを置き換えるためサイゴンで作られたものです。

ステンドグラス

大聖堂には、シャルトルブルーのステンドグラスで有名なフランスのシャルトルのロラン社によって供給された56枚のガラスの正方形があります。大聖堂の10倍の重さに耐えるように設計されました。

サイゴン大聖堂前の広場にある聖母マリア像は、大聖堂とならぶ有名な歴史的遺産です。1903年、フランス人は現在の聖母マリア像の位置に、ピニョー・ド・ベハイヌとカン王子の仏越の関係を表したブロンズ像を作りましたが、これは1945年までに取り壊され、台座だけが残っていました。ルルドの聖母の出現から100周年の1959年になり、イタリアのカラーラの白い大理石で彫った聖母マリア像がサイゴンに運ばれました。同年、教皇ヨハネ23世の特使であるクリコル・ベドロス15世アガギアニアン枢機卿がこの聖母像を祝福しました。

聖母の「涙」 

2005年10月29日、ある噂がホーチミン市に広まります。それは、大聖堂前の広場で宝くじ売りの人が聖母マリア像を眺めていたところ、聖母の目に水を発見し、それは頬をつたって流れ、顎にたまったというのです。瞬く間にこのニュースは広まり、ルルドの奇跡のように、涙を流す聖母像を見ようと何千人もの人々が大聖堂まで集まり、10月30日の朝には警察が道路を封鎖するほどの事態となったのです。同日の夜、ノートルダム大聖堂の教区司祭であるJohn Baotixita Huynh Cong Minh神父は、虚偽の噂であるとコメントしました。

2005年11月、Gioan Baotixita Phạm Minh Mẫn枢機卿ホーチミン市大司教区は、この現象に関する書簡を送りましたが、書簡で、彼はこの現象の肯定否定の見解を提起することはしませんでした。彼によれば収集されたデータは、聖母像から涙が流れたことを確認する客観的な証拠ではなく、現象と結果についての研究するための委員会を結成しました。

2024年4月撮影

サイゴン大教会は、1880年の完成から100年以上一度も手を加えられておらず、かねてより老朽化が指摘されてきましたが、2017年から大規模な修復工事が開始されました。2023年には、2つの鐘塔の上に設置されていた高さおよそ4m、重さは600kgの十字架2本が修復のためベルギーに送られています。

当初2020年の完成を目処に工事が進められていましたが、新型コロナウイルスの影響などもあり、フランスやドイツなどからの建築資材がうまく輸入できず、工事の進捗に大きく影響しており、現在2027年が完成目標となっています。

サイゴン大教会は、東南アジアの町並みとのコントラストが美しい一度見たら何度も足を運びたくなる魅力を持っています。かつてサイゴンと呼ばれた町の歴史を見届けてきたこの大聖堂は、今改めてその姿が当時のように復元されようとしています。建築資材はすべてフランスから、ステンドグラスや、タイルの生産地にもこだわりを持って輸入されるなど、入植者であったフランス人がいかにこの教会を重視していたかかがうかがえます。サイゴン大教会は神秘的な聖母像とともに、東洋と西洋が融合したホーチミンの歴史的建造物の中でも特殊な存在なのです。

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